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日本国内・教育問題


・ゆとりある教育

ゆとり教育。
子供のことを考えているようで、聞えの良い言葉ではあるが、
実態は曖昧な教育を子供に押し付けて、馬鹿に育て上げるという素晴らしい愚行である。
欧米などでは、「ゆとり教育は学力を低下させる」ということで、早くから否定されている。

「円周率、およそ3」「四桁以上の計算は電卓で」

これが馬鹿でなくて、なんであろうか。
ちなみに本当の円周率はこれだ。

・子供を駄目にする「ゆとり」

言うまでもなく、教育とは「教え育てる」ことであり、子供の考える能力、
理解する能力などを伸ばし育むことである。
結果や答えが全てではなく、その過程が大事なのだと私は思う。

しかし、それを阻止しているのが、今の「ゆとり教育」である。
「計算は電卓で」
別に悪いことでもなんでもない。むしろ必要であり、便利なことである。
だが、それを子供のころから押しつけて何か良いことがあるだろうか。

言ってみれば、ゆとり教育とは教育を受ける子供の基本的な権利を妨害していることになる。
なぜ、世間にたくさんいらっしゃる人権屋はそのことについて言及しないのだろうか。

・競争無き社会が理想?

  これまで行われてきた「ゆとり教育」は明らかに学力の低下をもたらしています。
  文科省の全国統一テスト廃止など、客観的な事実データ集積の努力と、
  情報の公開を怠る姿勢は国民に対し説得力を欠きます。子供の教育権は両親にあり、
  その付託を受けた行政が行う義務教育は学ぶ習慣づけと基礎学力の蓄積を行う責任があります。
  歪んだ戦後民主主義の悪平等と非競争を推進してきた一部の教育関係者と
  世論を恐れて格差を作らない教育行政が落ちこぼれを少なくする安易な解決法として
  指導内容の水準を下げたと疑われても仕方がありません。

  (ゆとり教育に異論あり 「学力低下」が経済活動の弊害にから

つまり、文部省は「落ちこぼれを一人前にする」ことを放棄し、
「全体を落ちこぼれのレベルまで落とす」ことによって格差を無くしてしまおうと考えたわけだ。

  たとえば、反対論の中心になっている、学力低下を招くという意見に対しては、
  これはあくまでも最低基準であって、できる子には個別対応でどんどん学力を
  伸ばしてやっていいというようなことをしきりにいう。
  だが、ただでさえ忙殺されている今の教師に、個別対応をするだけの余裕がどこにあるというのか。
  そういうことを公式に許すだけの体制を整えているのだろうか。
  私立校のみならず、千代田区の小、中学校では、すでに土曜補習の方針を固めたそうである
  (『読売新聞』三月一六日付)。
  休日出勤の手当はちゃんと出るのだろうか。そもそもこれではいったい何のための「ゆとり教育」か。
  また寺脇氏は、「学力が低下したことを裏づける客観的なデータはない」と
  いまだにうそぶいているが、客観的データはある。
  河合塾が二十万人規模の受験生を対象に毎年行っている「クリニックテスト」で、
  九五年と九九年にまったく同じ問題を出して国語の成績を調べたところ、
  同じ得点でも九五年では「中の上」にしか入れなかったのに、九九年では、
  ゆうゆうと「上位」にランクされている。つまり、平均学力が明らかに低下しているのだ。
  また、神奈川県藤沢市が中学生を対象に三十五年間続けているユニークな調査でも、
  かつてに比べて、「もっと勉強したい」と答える生徒の割合は低下し続け、
  ついに二〇〇〇年には、「勉強はもうしたくない」と答える生徒の割合と逆転した
  (『神奈川新聞』二〇〇一年四月一八日付)。
  そして一般に、この傾向は、成績が中以下の生徒において著しいことも明らかになっている。
  「ゆとり教育」実施後もこの事態が少しも好転せず、
  ますます悪化の度を強めていることが明瞭に見て取れる。

  (歴史上最愚策「ゆとり教育」の元凶を糺すから

「出来る子には個別対応で」と言っている時点で、もはや平等ではないことに、
文部省の方々は気付いていないようである。

  「お子さま中心主義」的な自由教育の失敗は、六十年代以降の二十年間に
  おけるアメリカの実験ですでに証明済みである。
  結果は惨憺たるもので、犯罪、ドラッグ、売春に走る青少年が激増した。
  アメリカ自身だけではなく、他の先進国もみな、この結果を「他山の石」として
  「自由」概念の見直しに入り、それぞれに苦闘を続けている。
  愚策を早くあきらめて、日本人の知恵のありどころを示そうではないか。

  (歴史上最愚策「ゆとり教育」の元凶を糺すから

・戦後教育の弊害

戦後は終ってはいない。
何故なら、未だに反日教育がまかり通っているからだ。

私の故郷は反日思想の凝り固まったところである。
小学校の卒業式では、「国歌斉唱のときに起立をするな」と言われた。
座っているほうが楽なので生徒の大半はこれ幸いとばかりに座っていたが、
それでも数名の生徒は起立していた。
私は着席をしていた。

現在、国旗国歌法が施行されたが、こういうものは
本来、法律で強制するものではないと思う。
しかし、反日自虐教育を過剰に推し進めた結果、
そうするしかなくなったのだろう。

何故、この国の人間は、自国の国旗や国歌を誇れないのか。
・・・全て教育のせいではないだろうか。

  1.教科書不採択運動
  昨年の教科書騒動も本部は特定教科書の不採択運動はしない方針だったが、それに反した事を誇るが如く
  如何に各組合が特定教科書(勿論 扶桑社本)の不採択に力を入れたかを報告する。
  例えば、千葉県高教組は「社会科教育分科会」で高校の授業内容でなく中学歴史・公民の
  扶桑社不採択に取り組む県民組織の事務局を組合内に置き、集会に組合員を動員したことを報告。
  東京都高教組「平和教育」分科会の報告書は、いったん扶桑社の採択を決めた栃木県下都賀地区の
  教委に電報を打ったり、市・区役所を包囲する”人間鎖”に組合員を動員したと報告。
  さすがに嫌がらせ・脅迫電話・放火の事は触れて無さそうだが。
  愛媛教組は県立擁護学校の扶桑社採択決定の撤回運動の記述と
  「子供達に一人たりとも使わせたくない教科書」と主張。
  鹿児島県高教組は日教組本部の方針を変えよと主張。

  2.慰安婦
  中学歴史教科書で慰安婦につき記述するものは従来の7社中7社から今回8社中2社と少なくなったが、
  大阪府教組は南京虐殺や慰安婦について教えよと指導する「平和教育資料ー戦争関連教材」を発行。

  3.靖国神社
  東京教組の報告書は「明治憲法下、天皇は国の元首であり、統治権、立法権、陸海空の統帥権に
  加えて宗教の頂点に立っていた」(全く歴史無視の事実誤認だが)、
  「このような『国体』を維持する為の宗教施設・教育施設が『靖国神社』であった」と説明
  (本来の意味を無視した驚くべき偏向概念!)。
  「戦後も自衛官が公務で死んだ場合は合祀されている」と、事実に反した記述も。

  4.国旗・国歌
  千葉県高教組は昨春の県立高校の入学式・卒業式で開式前に
  国歌のテープを流しただけで「斉唱」としたことを反対運動の成果と強調。

  5.同時テロ・テロ特措法反対
  「真の狙いは・・・・中央アジアに拠点を築きたいアメリカに協力、アメリカの為の戦争に
  日本の青年を駆り出し、日本全土を戦場にする事を表明している」と過激派顔負けの主張。

  6.自衛隊
  東京都高教組は進路調査で自衛隊入隊を希望する生徒に対し
  「自衛隊の本来の役割(軍隊)を話し、人を殺す事になるかもしれないから」と説得し止めさせたことを報告。
  また昨年9月に東京都が行った総合訓練「ビッグレスキュー東京2001」で
  都立高が使われた際に「監視行動」を行ったと報告。

  (反日度を競う日教組集会から

そういえば最近、靖国神社へ行って来た。
参拝はしなかったのだが、資料館(遊就館)をじっくりと見てきた。
私はこれまで、ここほど歴史的事実を客観的に追っている施設を見たことがない。
自虐もせず、肯定もせず、ただ淡々と歴史を追っているのである。

資料館の最後には、感想を書くためのノートが何冊か用意されていた。
何気なく読んでみたのだが、大抵は
「散っていった人たちのためにもこの国をより良くします、頑張ります」
「日本を守ってくださってありがとう」
という感謝の念が書かれているのだが、それに混じってこんなことを書いている人もいた。
「戦争賛美は同じ日本人として情けなく思う」
・・・事実を客観的に並べているだけで、戦争賛美になるのである。
つまり彼らは、日本の歴史は自虐的に描かれていないと、「戦争賛美」になってしまうのだ。

これが戦後教育の功績である。
歴史を単なる事実と受け取れず、主観のみを追い求める。
これを思考停止と言わずして、なんと言えば良いのか。
非常に可哀相なことだと私は思う。

ちなみに、資料館を見終わった後は、海軍カレーを食してきた。
歴史を経たカレーの味は、少し私には重かった。

・日本教職員組合(日教組)の実態

  花子「”日教組”の実態を説明して下さい」

  先生「教師の多くは学校で働く”労働者”であることを自認し、科学的に真理に立って行動し、
  団結して正しい政治の為に闘うことを標榜する”社会主義イデオロギー”を信奉する”政治団体(社民党)”に
  属していて、真理ならぬ科学的真理”マルクス主義”の実現の為に”国家と敵対”し、教育基本法8条2項が
  禁じるところの”特定の政党を支持”し、又はこれに反対するための”政治教育”その他”政治的活動”を
  白昼堂々と”教育の現場”で”子供達を巻き込みながら”行ってきた教師の集団です。反省しています。」

  京子「”教師”及び”教師集団”が社会主義イデオロギーに基づいた
   ”偏向教育の主体”であることが判明した訳ですね」

  先生「恥ずかしながら、そういうことです」

  (日教組とはから

そもそも戦後の日本自虐教育は、GHQによって推し進められてきた。
これまでの日本の教育では、いつ、またアメリカに牙を向くかも分からないからだ。
GHQが天皇制を廃止しなかったのも、そのためである。
天皇制を廃止してしまったら、日本国民の反米感情が高まり、連合国軍は
半永久的に多大な人員を割いて、日本を統治していかなくてはならない。
そう考えたのである。

だが、自虐教育は度を越え、共産主義にまで発展してしまった。
お笑いである。
アメリカの方針によって、アメリカの毛嫌いする共産主義に傾倒してしまったのだから。

しかし、私が思うに、事はそんなに複雑ではない。
日教組としては共産主義であろうとなかろうと、売国主義であればなんの問題もないのだ。

  前野 徹 「第四の国難」 扶桑社

  ・日教組の反日教育により国家観のない日本人が増殖し、経済界も
  利益最優先の経済人一色に染まってしまったのである。
  そのため未だ日本の基礎は占領政治時代と変わっていない。経済も政治も占領政治の
  余韻を引きずり、アメリカに依存している。それどころか、占領軍によるプロパガンダはことごとく功を奏し、
  今や国民のほとんどが、自虐史観、東京裁判史観にどっぷりと浸っている。
  先人たちの努力により第三の国難は克服できたものの、国富んで現代人は精神を忘れ、第四の国難を招いてしまった。

  ・戦後生れのほうが多くなってきた。次の政権を担うニューリーダーたちも戦後世代である。
  ところが彼等は完全に戦後の洗脳教育に染まっていて、正しい歴史認識がない。
  歴史を客観的に勉強するという努力も怠っているので、植え込まれた歴史観を素直に信じて過去を否定している。

  ・日教組による、過去の日本を卑しめる偏向教育は戦後生れの人々を「反日日本人」に仕立て上げた。
  国家に反逆するのが当たり前で、悪である国は何が何でも潰さなければならないという誤った価値観で、
  1960年代、全学連による学生運動が盛り上がった。
  その反日日本人が今は親の世代である。彼らが子供たちに国を大切にしろ、
  公のルールは守れを教えるだろうか。教えないに決まっている。

  (日教組とはから

少し話しはそれるが、日本の左翼は厳密には左翼ではない。
左翼とは、革新的な方法を用い、自国を発展させる思想のことである。
愛国心がまずその思想には不可欠なのである。
そして右翼とは、文化や歴史を重んじ、それによって自国を発展させようと
考える思想のことである。
日本の左翼は、愛国心など欠片もない。
単なるアナーキズム(無政府主義)である。
なので、日本の売国奴達を左翼と呼ぶのは、実は正確ではないのである。

それと同じで、日本の右翼も少し毛色が変わっている。
街宣右翼は除外して話しを進めるが、日本の右翼は非常に
革新的である。
売国思想によって築かれた教育方法、
過剰な人権擁護に守られている犯罪者、裁判所の堕落、少年法。
これらを国益に反すると見なし、改革を迫る。
これまでの反日自虐教育を一掃しようと考えている。

このように、日本の右翼や左翼は世界のそれとは
少し変わっている。
これもまた、教育のなせる業である。

  なぜ、教育白書はこれらの問題点に目をつむるのでしょうか。
  それは、日教組らの教職員組合と文部省が、いつの間にか癒着してしまい、
  両者がなれ合いの関係になってしまったからだと思います。
  癒着のきっかけは、学校の週休二日制です。学校の週5日制に反対意見が多かった
  世論を排してこれを実現するために、文部省と日教組が同じ公務員として
  共闘関係になってしまったことです。

  そして、これを契機に左翼運動が行き詰まった日教組と、細川内閣のもとでの社会党の
  政権参加により方向を見失った文部省が手を握り、両者が「歴史的和解」をしてしまったことが原因です。
  これ以後文部省は日教組を批判できなくなってしまったのです。
  現在の学校荒廃の原因のほとんどは、日教組らによる学校の組合管理にあると思います。
  その日教組に何も言わない、何もしない文部省などは存在する意義がありません。

  白書は教育改革の成果として、「小学6年生の授業時間数が1,015時間から945時間に、
  およそ3割減ったこと」を挙げていますが、授業時間が減ったことがどうして「成果」なのでしょうか。
  代わりに何かしたのでしょうか。授業時間が減ったことを「成果」と認識するのは、労働組合の発想です。
  文部省が労働組合と同じ発想をしていたのでは救いがありません。

  (問題を避けて通っている教育白書から

日本はとても良い国だ。
思想の自由、言論の自由が保証されている。
だが、それを他人に押し付け、洗脳するのは「自由」でもなんでもない。
そして、それを堂々と日本の教育者達は行っているのである。

中国共産軍の捕虜になった米兵が、三ヶ月後に母国へ戻った。
その米兵は立派な共産主義者になっていたという。
日本では、九年間の義務教育で、教育と称した洗脳が行われている。

母国を批判し、否定する思想を持った子供たちが、
毎日生産されているのである。

・日本国旗「日の丸」・日本国歌「君が代」に断固反対するワケ

  Q2. 「日の丸・君が代」に戦争責任はないのでは

  (略)
  現在でも、戦争の加害者として良心の呵責に苦しむ日本人や、
  被害者として「日の丸・君が代」を見ただけで、戦争の悲惨な状況を思い出し、
  かつて覚えた恐怖心や嫌悪感に身震いする人々も多くいるはずです。
  日本国が従軍慰安婦問題などに、積極的に国家としての戦争責任をとろうとしない限り、また、
  真の意味で世界の平和に寄与する「平和な国・日本」とならない限り、「日の丸・君が代」が
  人々の気持ちを和らげるまでには至りません。

  その意味で「日の丸・君が代」を戦争責任の問題と切りはなして考えることはできません。
  まず、「日の丸・君が代」を操作する日本国が、
  世界の代表として「平和」を実現していくことが先決でしょう。

  (「日の丸・君が代」強制反対一問一答集から

上の引用を読んでいただければ分かると思うのだが、
日本の国旗国歌に反対する方々は、
「嫌悪感に身震いする人々も多くいる「はず」だ」という
憶測で動いているのである。

長いので省略して引用させていただいたが、原文を読めばさらに
言っていることが支離滅裂で、何を伝えたいのかが分からない。
「国旗や国歌はモノであり、モノを扱うのは人間であり、そしてそのモノを扱った
 日本人は悪いことをした、だからその扱われたモノも悪い」

どうしても私には読み取れてしまうのだが・・・。
なんだか化かされてるというか、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というような気分だ。

蛇足ながら、日本は彼らのよく言う「戦争責任」に対してちゃんとした対応を取っている。

そしてその一問一答集に対する反論はこちらである。

  Q2. 「日の丸・君が代」に戦争責任はないのでは

  まったくその通りです.「戦争責任がある」なんて言い出したら,星条旗だって
  ユニオンジャックだって戦争責任のかたまりになってしまいます.
  日教組を中心とする偏向教育や,中国や韓国の反日教育のかいがあって,
  現在でも戦争の加害者として良心の呵責に苦しむ日本人や,被害者として
  「日の丸・君が代」を見ただけで,戦争の悲惨な状況を思い出し,かつて覚えた
  恐怖心や嫌悪感に身震いする人々もいるようです.

  しかしそのような,一部の方々を引き合いに出し,学校教育の場を混乱させるのは,筋違いです.

  (「国旗・国歌」強制反対一問一答集1から

自国の国旗や国歌すら大事に出来ない人間が、人に教育を施せるのだろうか。

  自分達の子供が通う学校でどのような教育が行われているのか、 
  校長のリーダーシップと日教組の力関係、それを窺い知ることができるのが卒業式です。
  国旗国歌を尊重するというと、すぐに、「右翼だ」 「反動だ」 などと、レッテルを貼りたがる人たちが
  います。 そういうことを言う人たちは、間違いなく、進歩的?左翼といわれる人たちです。
  自分の国をけなして、メシを食っている人たちです。 自国の国旗や国歌をたいせつにしない国は
  世界中さがしても、わが国の過激派左翼陣営ぐらいのものです。 
  ワールドカップでよく判ったではありませんか。

  (卒業式の調査から


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